(文字起こし:Tama-minさん)
ユッスー:皆さん、はじめまして、こんにちは。こんばんは、そして、おはようございます。ユッスーです。第16回は旅々プロジェクトの「エイプリルフール・シャッフル」企画として、各podcast番組のMCを入れ替えて、番組をお届けします。そこで、このセカザツには、「たびたびCaFéの旅時間」、「恋するエスパーニャ 〜スペイン世界遺産の道」MCのロミロミさんが、ゲストに来てくださいました。
ロミロミ:はじめまして、こんにちは。ロミロミです。今日は特別企画ということで、皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。
サンティアゴ・デ・コンポステーラとは?
チャイ:それではさっそく、ロミロミさんと一緒に、世界遺産をご紹介していきたいと思います。
ロミロミ:お願いします。
チャイ:今回ご紹介する世界遺産は、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」です。
ロミロミ:私も大好きなスペインの世界遺産ですね。
チャイ:スペインのガリシア州にあります。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、キリスト教十二使徒のひとり、聖ヤコブの遺骸が眠る大聖堂(カテドラル)をはじめ、カトリック教聖堂や大学、広場などが広がる旧市街で、キリスト教三大巡礼地のひとつとなっています。
ロミロミ:キリスト教三大巡礼地というと?
チャイ:ローマ法王庁のあるヴァチカン市国、エルサレム、そして、これからお話するサンティアゴ・デ・コンポステーラの3カ所です。
ロミロミ:3カ所全部、世界遺産に登録されていますよね。
チャイ:そうですね。エルサレムは政治的諸事情で、ヨルダンからの申請となっていますけれど。
ロミロミ:エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地で、イスラエル・PLO問題として、現在も国際紛争が続いています。
チャイ:さて、このサンティアゴ・デ・コンポステーラは1985年にスペインの文化遺産として登録されましたが、実は、“サンティアゴ・デ・コンポステーラ”の冠を持つ世界遺産は、合計3件が登録されています。まずは、巡礼地そのものとしての『サンティアゴ・デ・コンポステーラ/1985年登録・登録基準(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅵ)』。もう1件は、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く、スペイン国内の聖なる巡礼路、『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路/1993年登録・登録基準(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)』。そして、スペイン隣国のフランス共和国にも、聖地へと繋がる自国内の巡礼路としての文化遺産『フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路/1998年登録・登録基準(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)』が、登録されています。
ロミロミ:なるほど。
チャイ:そもそもサンティアゴ・デ・コンポステーラの「サンティアゴ」は、スペイン語では“聖ヤコブ”を、「コンポステーラ」は“星”を意味します。ラテン語では「コンポステーラ」を“星の野原(Campus stellae)”ないし“墓場(Compositum)”を意味するので、「殉教者ヤコブのための聖地」にちなんで、名づけられたとされています。
ロミロミ:“星の野原”と聴くと、浪漫を感じさせますね。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(写真提供:ロミロミさん)
チャイ:そうですよね。サンティアゴ・デ・コンポステーラの歴史は、聖ヤコブの墓が814年にイリア・フラビアの司教テオドミーロによって発見されたことに、始まります。当時、イベリア半島北西部を統治していたキリスト教国家、アストゥリアス王国のアルフォンソ2世は、その地に聖ヤコブを祀る礼拝堂の建設を許可したものの、997年にはコルドバからイベリア半島に侵攻してきた、イスラム勢力の後ウマイヤ朝アル=マンスール軍によって破壊されてしまいます。レコンキスタでキリスト教勢力が回復すると、アルフォンソ6世政権時代の1075年に、司教ディエゴ・ペラエスによって再建されました。1128年には大聖堂の主要部分が完成し、現在の姿となりましたが、一般公開のための献堂式が催されたのは、1211年4月11日のことでした。
ロミロミ:長い歴史の中で、増改築を繰り返してきたのですね。
チャイ:そうなのです。オブラドイロ広場から見て西側の、大聖堂の正面玄関には、フェルナンド・デ・カサス・イ・ノボアが1750年に完成した、ファサードがスペイン独自のバロック文化を象徴するチュリゲラ様式のファサードが聳え、その奥には、彫刻家メストレ・マテオが20数年の歳月をかけて制作し、1188年に完成させた、ロマネスク様式の最高傑作「栄光の門」がお目見えします。そして、大聖堂の中には聖ヤコブの遺体が安置されています。
ロミロミ:信仰心の篤さを感じさせますね。
チャイ:実際、三大聖地でもあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は、大聖堂が完成した12世紀に、キリスト教信者の間で急速に広まりました。その往復程が「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として、今回ご紹介するふたつめの世界遺産『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』となっています。スペインの北部を東西に貫くような形で道が通っていて、道そのものが構成資産となっています。イベリア半島だけで、その距離約800km。巡礼者たちは約1カ月間をかけて、歩いて、聖地に向かいます。
ロミロミ:当時は舗装道路もなかったでしょうし、たいへんだったのではないでしょうか。
チャイ:そうなのです。獣道や足場の悪い湿地帯をひたすら進まざるを得ませんでしたし、野生の狼や盗賊に襲われたりも……。ところが、庶民だけでなく王侯貴族たちもこぞって巡礼したと伝えられています。流行の最盛期を迎えた12世紀には、年間50万人を記録したそうです。また、商人たちも巡礼路を往来していたため、サンティアゴ・デ・コンポステーラは商業都市としての機能も持っていました。
ロミロミ:道ができれば、人やモノが流れて、発展していきますよね。
チャイ:ちなみに、イベリア半島内の巡礼路は、スペインの国境とピレネー山脈を越えて、フランスまで続いています。
ロミロミ:何kmぐらいあるのですか?
チャイ:約800kmです。
ロミロミ:長い。東京から広島ぐらいの距離ですね。
チャイ:加えて、フランス国内には4本の巡礼路、パリに続く「トゥールの道」、ヴェズレーに続く「リモージュの道」、ル・ピュイに続く「ル・ピュイの道」、そして、アルルに向かう「トゥールーズの道」が通っています。『フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』には、沿道に建ち並ぶ聖堂や修道院、記念碑なども、構成資産として含まれています。「トゥールの道」のサン・ガディアン大聖堂はゴシック様式の建築物で、「トゥールーズの道」のサン・セルナン大聖堂はフランスのロマネスク様式の最大傑作とされています。加えて、巡礼路の沿道にありながら、単独で登録されている世界遺産があります。モン・サン・ミシェルと、ヴェズレーのサント・マドレーヌ教会です。このふたつは、それぞれの世界遺産『ヴェズレーの教会と丘/文化遺産/1979年登録・2007年範囲拡大/登録基準(ⅰ)、(ⅵ)』と、『モン・サン・ミシェルとその湾/文化遺産/1979年登録・2007範囲拡大/登録基準(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅵ)』として登録されているだけでなく、『フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』の構成資産としても、登録されています。
ロミロミ:サンティアゴ・デ・コンポステーラがどれほどの聖地なのか、これだけでも垣間見えてきますね。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂正面(写真提供:MAJOさん)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂裏手(写真提供:MAJOさん)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の内部(写真提供:ロミロミさん)
聖ヤコブについて
聖ヤコブ像(写真提供:ロミロミさん)
チャイ:ここで、聖ヤコブについて、ちょっとご紹介したいと思います。
ロミロミ:お願いします。
チャイ:聖ヤコブは、弟ヨハネと共にイエス・キリストの十二使徒のひとりであり、魚屋を営んでいたゼベダイの息子であることから「ゼベダイの子」、あるいは、「アルファイブの小ヤコブ」と区別して「大ヤコブ」と呼ばれています。
ロミロミ:“ヤコブ”は名付けやすい名前なのかもしれませんね。
チャイ:ある日、ヤコブとヨハネの兄弟は、父ゼベダイとガリラヤ湖畔に浮かぶ漁船の中で網の手入れをしていたところ、イエス・キリストが漁船に近づいてきて、「私に付いてきなさい」と言いました。ヤコブは即座に心を決め、漁船に父と雇い人を残したまま、弟ヨハネと一緒にイエスの弟子となりました。
ロミロミ:イエスの弟子は他に、誰がいるのでしょうか?
チャイ:全部で12人いて、ヤコブとヨハネ以外に、ペトロ、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの小ヤコブ、ヤコブの子ユダ、タダイ、熱心者のシモンがいます。もっとも有名なのは一番弟子のペトロで、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3名がとりわけ重要な人物です。聖ヤコブはサンティアゴ・デ・コンポステーラで知られていますが、福音書によっては登場しない書物もあります。
ロミロミ:そうなのですね。
チャイ:個人的な印象としては、兄ヤコブよりも弟ヨハネの方が、インパクトが強いです。ヤコブとヨハネの兄弟の母親サロメは、イエスの母親マリアの従姉妹にあたるため、彼らはイエスと血縁関係にあります。イエス一行は、形骸化したユダヤ教を批判し、今ある神を否定すると同時に、古代ローマ帝国のユダヤ人迫害についても言及していたため、宗教的にも政治的にも批難の対象となっていました。なので、聖地エルサレムへ向かうのも彼らは決死の覚悟だったわけですが、民衆にとってはイエスの思想に人気が集まりつつありました。イエスは道端で目を治し、足を治し、万人が納得できる奇跡を次々と起こし続けます。
ロミロミ:イエスの評判は高まりますね。
チャイ:そうです。イエスにすがり、信奉する人々が急増したのです。一方、弟子たちは、世の中の流れが自分たちに向いてきたことに、浮かれ始めました。
ロミロミ:あらら(苦笑)。
チャイ:ヤコブとヨハネの兄弟は、ある日、イエスに言いました。「先生が偉くなったら、私たち兄弟を右大臣、左大臣のポストに付けていただけないでしょうか」と。その言葉に、他の弟子たちもここぞとばかりに騒ぎ立てました。イエスは言いました、「静かに考え直しなさい。それでは世間の人々と同じです。あなた方が本当に偉くなりたいと考えるのならば、皆の奴隷となりなさい」と。
ロミロミ:逆に諭されてしまったわけですね。
チャイ:また、他のエピソードとして、エルサレム近くのサマリア地方で宿泊場所の手配をしようとしたところ、サマリア人たちに嫌煙されていたイエスたち一行は、どこの宿屋でも断られてしまいました。兄弟は怒りのあまり、「先生、こいつらの家々に火を放って、焼き払ってしまいましょうか」と怒鳴り散らしたこともありました。兄弟はとてもキレやすい性格で、イエスは呆れて「雷兄弟」と名付けたほどです。
ロミロミ:雷兄弟(苦笑)。
チャイ:イエスが磔刑に架けられた後、雷ヤコブは各国を飛び周り、精力的に布教活動をします。その最終地点がスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」ですから、中東イスラエルからヨーロッパの西の果てまで奔走したことになります。さらに宣教の道中で得た弟子たちをエルサレムに連れて行ったともされ、その移動距離は想像を超えます。当時の移動手段は、徒歩か木舟です。ヤコブはたいへん頑強な大きな体で、大声だったとされています。しかもその声はガラガラ声で説教が聞き取れないこともあり、それこそ「雷声」だったとも記されています。
ロミロミ:ジャイアンのようなイメージでしょうか(苦笑)。
チャイ:巡礼路上では、お地蔵さんのように、その途中途中でミニチュアのヤコブ像を見ることができますし、大聖堂すぐ傍にあるサンティアゴ巡礼博物館ではかつて沿道に置かれていたヤコブ像が展示されています。スペイン現地の土産物屋でホタテ貝のついた可愛らしいミニチュア人形もたくさん売ってはいますが、実際の人物像とは相当かけ離れているかもしれません。ホタテ貝は聖ヤコブのシンボルで、現存している肖像画の多くは、ホタテ貝を首に下げ、巡礼のための杖と頭陀袋を携えた旅装束の姿で描かれています。
ロミロミ:私も実際、ホタテ貝をよく見かけました。
道端にあるホタテのモチーフ(写真提供:ロミロミさん)
チャイ:一説によると、ホタテ貝は再生や豊穣の意味があり、ボッティチェリの代表作『ヴィーナスの誕生』では印象的なモチーフとなっていますし、ガリシア地方ではホタテ貝が多く獲れたため、巡礼者たちの重要な蛋白源として好まれたそうです。ヨーロッパでも中東地域でも、窓枠やドアのホタテ貝の装飾を見かけたら、それはヤコブ信仰の証で、ホタテ貝をフランスでは“聖ヤコブの貝(coquille Saint-Jacques)”と呼ばれています。
ロミロミ:他の弟子たちにも、そういったモチーフがありますか?
チャイ:あります。たとえば、ペテロのシンボルは鍵です。ペテロはイエスから天国の鍵を与えられ、ローマカトリックではその継承権の創始として、初代ローマ教皇に位置付けられています。弟ヨハネはイエス最愛のもっとも若い弟子であり、そのシンボルは毒蛇の入った杯です。
ロミロミ:毒蛇、ちょっと怖いかも……。ヨハネは世界の終末が記されているとされる「黙示録」が知られていますよね。
チャイ:はい。黙示録に加えて、福音書も残されています。
ロミロミ:福音書とは?
チャイ:福音書はイエスが実際に語った説教を記述した書物で、新約聖書にはヨハネの他、マタイ、マルコ、ルカによる、合計4つの福音書が収められています。ちなみに、ヨハネは迫害を受けたものの、十二使徒の中で唯一、殉教しなかった人物です。ヨハネに関する伝承として、トルコ西部エフェソスのディアナ神殿の祭司に毒杯を迫られた際、ヨハネは毒杯を飲み干しても生きていたばかりか、毒杯で死んでしまった2人の罪人をも生き返らせました。このエピソードから、毒蛇の入った杯が、ヨハネのアトリビュートとなりました。
ロミロミ:だから、毒蛇なのですね。
チャイ:加えて、油の煮えたぎる火釜の中にも入れられたこともありました。釜底に腰かけたヨハネは天に祈りを捧げる以外変わりなく、ここでも奇跡を見せました。幾度となく拷問を受けても、ヨハネにとってはまったくの無意味だったため、最終的には島流しの刑に処され、エーゲ海に浮かぶ無人の孤島、パトモス島に幽閉されました。ヨハネはパトモス島で黙示録を記し、釈放後に移り住んだトルコで95歳まで人生を全うします。福音書はその晩年に記されました。ヨハネの最期についてもエピソードが残っています。イエス・キリストが「私と私の仲間たちのもとに来なさい」と現れ、ヨハネは弟子たちに穴を掘らせました。ヨハネがその穴に入って祈りを捧げると、彼の身体からまばゆい光が発せられて、彼の姿が忽然と消えてしまいました。最期まで奇跡を起こし続けた人物です。
ロミロミ:さすが、イエスに最も愛された弟子ですね。
チャイ:ヨハネが毒杯を飲まされた地のエフェソスには、ヨハネのお墓があるとされる聖ヨハネ教会がありますが、実際に訪れてみると、重要視されているような印象はあまり受けませんでした。トルコは原始キリスト教会にとってきわめて大切な場所で、世界初の教会が建設されたのも、三位一体論も確立したのもトルコからですから、意外に思いました。
星占いについて
チャイ:ヤコブについて、もう少しお話しますね。
ロミロミ:お願いします。
チャイ:ヤコブは西暦44年頃に殉教します。ユダヤ教の過越祭(ペサハ)で反ローマの声が高まっていた時に、当時エルサレムのユダヤ王ヘロデ・アグリッパ1世(紀元前10~44年)によって、斬首の刑に処されてしまいました。アグリッパ1世は、少年期をローマで過ごし、一族も親ローマ派だったため、イエスたちを異端視し迫害することで、ユダヤ民衆たちからの反感を避けたのでした。ヤコブは刑場に曳かれて行く道程で、通風で足を悪くした男性を治癒します。群衆だけでなく、ヤコブを縄で曳いていた役人ですら、その劇的なシーンに魅せられ、キリスト教に回心してしまいました。この役人はヤコブとともに処刑されてしまったそうです。ヤコブの殉教後もキリスト・グループへの迫害は続き、お墓すら造ることが許されませんでした。スペイン出身のヤコブの弟子たちは彼の墓を造ろうと、亡骸を木舟に乗せました。宵闇の地中海を漂い、ようやく辿り着いた場所がガリシアでした。これもヤコブの奇跡だと、弟子たちは泣いて喜びました。そして、築かれたお墓の場所が、現在の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」であり、大聖堂内には聖ヤコブの亡骸が眠る棺があります。
ロミロミ:なるほど。
チャイ:ところで、聖ヤコブの墓が“奇跡的に発見”されたのは814年ですから、お墓が造られてから、数百年もの間、埋もれていたことになります。さらに聖ヤコブの墓を発見したイリア・フラビアの司教テオドミーロも、星に導かれて発見したというので、ずいぶんと伝説がかっています。
ロミロミ:ラテン語の“星の野原(Campus stellae)”は、この伝承を元に言葉が生まれたのかもしれませんね。
チャイ:イエス・キリストが誕生した際も、“東方の三博士”と呼ばれる占星術師の予言によって、発見されたので、「星に導かれる」ことの神秘性が重要視されています。余談ですが、ロミロミさんは星占いが好きですか?
ロミロミ:けっこう好きですね。
チャイ:星占いの世界では、人間を小宇宙、空の大宇宙として捉えて重ね合わせ、人が生まれた瞬間の星の位置、生まれた地域を細かく調べて占います。一般的には自分が生まれた瞬間に太陽がどの星座に位置しているかという占いが主流となっていますが、厳密には12個の星座と10個の惑星の位置も確認しなければなりません。
ロミロミ:複雑そうですね。
チャイ:たとえば、恋愛占いは金星の位置、幸運は木星の位置がもっとも重要ですし、占い結果は太陽の影響力が大きいとされる25歳~35歳の年齢がもっとも当たります。土星は人生の困難、水星は知性を意味します。確かに太陽はもっとも力のある星ですが、こういったことを踏まえて、雑誌の占いコーナーも読んだ方が良いと思います。
ロミロミ:私が滞在していたスペインでは、星占いを気にする人が多くて、学校の授業でも星占いがテーマとして取り上げられたり、自分の星座が何座で、その星座の長所と短所を調べて書くといった、エッセイの宿題もありました。
チャイ:古代、それこそ初期文明から研究が繰り返されている占星術は、実は宗教的関連性はなく、天文学にとって切り離せない関係性にあります。天文学の観察技術は占星術のために発展したといっても過言ではありません。占星術の起源は、河の氾濫を予測することでした。河の氾濫を知ることによって、農業生活の安定化を図ることができます。1年間の暦を知り、季節を知り、365日の大きな流れを知るためには、太陽の正確な位置が必要不可欠です。科学的データがない時代に、河の氾濫を予知できた人間は、まさに神に近い存在でした。
ロミロミ:チャイさんも、占いが得意ですよね。
チャイ:占星術とタロットカード占いが趣味です。占星術の話にはキリがありませんね。星占いは運命全体を占いますが、タロットカード占いは、大アルカナカード22枚と小アルカナカード56枚の、合計78枚のカードを使って、この世に偶然はなく、すべての事象は必然であるという考えのもとに、その時々の偶然に委ねて占います。たとえば、この瞬間の悩みには、この瞬間に導き出されたカードに示唆されます。タロットカードの方が、メッセージ性が高く、その人が求めている応えを導きやすいと思います。
ロミロミ:世界遺産のお話から始まって、聖ヤコブ、聖書、星占いと、盛りだくさんで楽しかったです。
チャイ:こちらこそ、今日はお越しいただいて、どうもありがとうございました。ロミロミさんが番組MCを務める「たびたびCaFéの旅時間」もよろしくお願いします!
ロミロミ:よろしくお願いいたします。
チャイ:以上、今回は、ロミロミさんと一緒に世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」をご紹介させていただきました。
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