宇田川が随分と久しぶりに個展をやるということで長いこと忙しそうに準備をしていた。
随分と悩み、随分と試行錯誤し、もう保険はかけず、これまでにない挑戦をするんだと少し不安そうに伝えてくれたような記憶がある。
そしてついに今回の展示の内容が明らかになった。
「パイプちゃん、人々ちゃん」
なんと、写真家なのに、写真を1枚も展示しなという個展・・・!
***
事前に美術手帖のオンラインで宇田川くんのインタビューを読んでいたこともあり、内心楽しみにしていた。
そして、ようやく先日、その個展に出かけてきた。
会場は銀座の一等地にあるガーディアン・ガーデンというギャラリーだ。
少し迷いながらもなんとか会場に着いて、中に入ってみた。
がっくりきた。
そう、それは、がっくりくるくらい “典型的な” 現代アート。。。
どこかで見たことのあるような ”現代アート” が、ただそこにあった。
投影される文字を2、3見たあと、あたりを一回りして、もう帰りたいと思った。
オレの普段の感覚なら「わざわざ来て損した」レベルだ。
---ここは随分と涼しい。
酷暑の外を抜けて来た自分にとっての唯一の救いはそれだけだった。
*
宇田川が出て来た。
そう、今日は個展のついでに会う約束をしてたんだ。
「どう?」
と彼は聞いてこない。
それを聞くのは怖くもあり、それにそう、恐らくだけど、その質問に、何か “マナー違反” みたいな感覚を感じるのではないかなと思う。
「いいね」
とオレは言わない。
なんとなく会話を濁しながらも、少しだけ作品のことを聞く。
そう、どうでもいい、とりとめのないことを。
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宇田川が展示の説明が書いてあるような紙をオレにくれる。
オレは見たふりをしてそれを手に持つ。
そして宇田川が見ていないうちにカバンにしまう。
見ても仕方がないような気がしてしまって。
そして今日から配布が始まったという本を手にする。
これは随分と立派な本が平積みになっている。
この本はあとで読もうとカバンにしまう。
「飯食った?」
こうしてオレたちは会場を後にする。
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トートロジー
それは同じことを延々と繰り返すような内容のこと。
何かを同じことで説明する論理というか、終わりのない堂々巡りというか、説明になっていないというか、だいたいそんなもののこと。
それは、オレが嫌いで宇田川が好きなものだ。
意味のない永遠みたいな感覚。
そう、それは意味がない出来事。
まるで説明になってない意味のないやりとりなのだ。
多分、宇田川くんはそういうことを大事にしてる。
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今回の「パイプちゃん、人々ちゃん」の試みの内容自体は宇田川の説明に譲るが、そこに脈打つのは何が意味をもたらすか、みたいなこと。
もっと言えば、真実とは何かみたいなこと。
そうだな、オレが今回の展示を見て「がっくりきた」のは正しいと思うんだ。
それは宇田川の意図通りであったのかもしれない。
こんなにくだらない営みを仰々しく「現代アート」みたいに見せる展示は、意味のないことの中にどうやって意味や価値が生まれるかを実験してるように見せておいて、実はそんなに大した話ではない。
そう、それはすこぶるくだらなく、考えたり、鑑賞したり、味わったりする価値や意味のないものなのだ。
そうはっきりと感じた時に、ふと己を襲う感覚がある。
じゃあ、逆に、お前のいう、考えたり、鑑賞したり、味わったりする「価値のあるもの」って何だというのだ??
果たして、そこまで自信をもって、はっきりと価値があります!と言い切れる価値を自分は知っているのだろうか?
この展示よりも見る価値のあるものって、何があるのか?
それはオレが勝手にそう思ってるものであって、オレにとって価値があるかもしれないが、それが他の人にとってもそうなのか?
またそれはオレが価値があると思ってるのではなく、オレがオレに生きて来た文脈でそう思わされているものなのではないか?
もしかしたら、
これは価値がありますよ、だって価値のあるものだから
というトートロジーは、それぞれの価値論に自然に付随しているものなのかもしれない。
だってそれ以外にそれを証明するってことができる気がしないんだ。
だとすると、宇田川の今回の展示が問いかけているものは大きい。
意味や価値がいかにして生まれるのかを実験的、哲学的に再現しようとする試みは、壮大なトートロジーの世界観をもって、我々のもつ常識に迫ってくる。
それは自分の生を見直し、自分の価値観を揺るがす問いであると言ってしまったら評価しすぎであろうか。
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繰り返していうが、やっぱり展示自体は面白くない。
でも、彼が常々肉薄してきた問いや挑戦が包み隠さず表現された場として、貴重であるとは思うんだ。
もっと真剣に向き合って考えてみたら面白い場なのかもしれないけど。。。
まあ、展示の感じ方は人それぞれかもしれないが、オレは今回無償で配布されているテキストは意外に面白いと思った。
オレもまだ20ページくらいしか読んでないのに偉そうなことをいうが、
このテキストの最初の方には、彼の幼い頃のエピソードや日常のエピソードが書かれているんだが、それが自分の忘れかけていた何かを揺さぶり、大切な感覚を優しく呼び起こすような心地よさがある。
ほんのわずかページをめくっただけだが、そういった彼の原体験こそが今の彼を少しずつ形作ってきたのがよくわかるし、その一つ一つが彼の芸術のコアに関わるものであることもとてもよく伝わってくる。
何もやる気がないふりをしてごろりと横になり、なんとなくこのテキストを読む。
するとスルスルとした読みやすい文章に、自分が意味を与えてこなかった何かの感覚が呼び起こされ、それが自分の何か大切なコアを形作っていることに気付けるかもしれない。
そしてテキストは次第に今回の “壮大な実験” の記録に移っていく。(そっから先はまだ読んでない)
宇田川の今回の展示はきっとこのテキストが込みでの内容なのだろう。
それにしても、宇田川の芸術は随分と哲学的になってきたと感じる。
これは表現というよりほとんど問いかけであるといってよいだろう。
酷暑の日々に、涼しい展示会場は8月10日までやってるらしいよ。
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The Second Stage at GG #48
宇田川直寛展「パイプちゃん、人々ちゃん」
- 会期:2018.7.18 水- 8.10 金
- 時間:11:00a.m.-7:00p.m.
- 日曜休館 入場無料
- 主催:ガーディアン・ガーデン
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