僕は自分の道を歩む人が好きだ。
そういう友を誇りに思う。
そして願わくば僕自身もそういう生き方をしたい。
己の道を行く生き方を。
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今日、親しい友達のちょっとした悩みにのってて、ふと出てきた言葉があるのでメモしておきたい。
それはなんか自分のために。
人を励ましているようで、実は自分を励ますために。
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どんな道でも、歩みぬけば、きっといつか、必ず、大道に出られる。
すべての道は大道に通じているの。歩みぬけば、きっと、必ず開けるの。
なんていうか、自分の行く道がどんな道でも、それを最後まで、確かに歩みぬけば一流になれるってこと。
どんな道でも歩みぬけば必ず一つの大道に出られると思うんだ。
はじめ、それがどんなに狭く、しょぼく、険しく、荒れた道でもね。
そして、それはあらゆる人が出会う大道だから、全然違う分野でも一流ってわかりあえるんだと思うんだ。
だから行くしかない。
道が決まっているなら歩くしかない。
淡々と、黙々と、粛々と。
地道に一歩一歩進んでいけばいいの。
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僕の大好きな小説「青雲はるかに」という本にこんな一節がある。
「原声どの、奇妙に聞こえるかもしれないが、近い道と近道はちがうのです。近道ばかりを歩こうとすると、かえって迂路や迷路にはまり、ついに大道にでられない。それより近くにある路がどんなに険しく狭くても、それを歩きましょう。かならず大道にでられる。」
原声っていうのは恋人なの。これは恋人同士の言葉。
お互いが、今はすぐには一緒になれぬ運命の中、自分の本分の道を必ず歩みぬいて一緒になろうって言葉なの。
近い道と近道は違う。
本当に身に染みる言葉。
でも実は僕はこの言葉があまりにも重いんだ。
僕は容量のいい人間だからよく近道しちゃう。
そして首尾よくいろんなことをやってしまう。
でも、自分のためにちょっと辛く苦しくても、時々思い出さないといけない言葉な気がしてる。
* * *
僕が好きなサバイバル術に、山で遭難した時にどうするかの術ってのがあるの。
登山の最中にね、もし道に迷って遭難したらどうすればいいか知ってる?
もっと簡単に言えば、
①「上ればいいのか」
②「下ればいいのか」
この答えは「上り」なの。
どうしてっかてね、山道ってだんだん少なくなってくわけよ。
山っててっぺんに向かってだんだん細くなってってるでしょ。
上に行けば行くほど道が少なくなるの。
つまり登山の入り口はいっぱいあるけど、上に行けば行くほど道はどんどん合流して、最後は頂上へ続く一本の道になる。
だからもしも、山で道を見失ってしまったら上を目指すべきだって。
そうすれば自ずと正しい道に戻れるんだって。
これってすごく人生にも当てはまるんじゃないのかなって思うんだ。
やっぱり道を見失いそうになったら上を目指すべきなんだ。
とにかくより高みを目指すべきなんだってね。
* * *
いろいろ悶々とする日々。
己の道って何なのかって。
己の志って何なのかって。
もっと言えば、オレの登ってる山はどっちが上なのかもわかんない時あるんだ。
問うしかない。
答えがない時は、問うしかないんだ。
今一度、志をもって生きられるものかな。
悩み、悶々とするときは、自分に問うんだ。
それがもがくってことで、それがオレなりには、真剣に生きるってことなんだ。
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