今日はチャイネクストの看板づくりをした。
表札にチャイと書いてあるんだけど、まだまだ郵便屋さんが迷うようなので、はっきりわかるように看板が必要だろうと思って制作した。
ちなみに描かれているのはチャイネクスト公認キャラクターのチャマです。
チャマとは、チャイが初めてリャマを見たときにその姿勢の良さに感動して描いたキャラクターです。
TwitterアカウントとFacebookアカウントもチャマに変更したのでよろしく。
そのうちチャイネクスト公式グッズでチャマシリーズを作っていくのでよろしく☆
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木曜日あたりから調子がおかしかったんだけど、金曜日に完全に声が出なくなって、昨日今日はずっと寝てた。まあ、今日はちょっとよくなったので、午前中にチャイネクストの看板を作ったけどね。
独自処方で薬を飲み、2日間寝たのでやっと声が出るようになったよ。
金曜日にはわざわざ岡山県から来てくれたリスナーさんとお会いしたんだけど、声が出なくてほとんどお話もできずに申し訳なかったな。
ともあれ、喉が回復し次第、畳の目の収録をしますよ。明日にはできるかな。今は畳の目、最優先期間だからね。
畳の目にメールを送ってくださった皆様、本当にありがとう!!
励ましのメール、すごくうれしいです。畳の目は少ない人数だけど反応が早くていいね。絆を感じるよ。
あとレビューもありがとう!畳もセカザツもレビューは超嬉しいです☆
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今、また裸足マラソンの練習してきた。
練習は夜だと目立たなくていい。昼間だと、道行く人にちらっと足元を見られるんだ。
足元を見られるってのはいつだっていい気分じゃないぜ。
今日は走ってみようと、コンクリの道だけど、4kmくらい走ってきたよ。
意外といけるかもなあと思って帰宅したらさ、左足の小指にできた豆はつぶれ、右足の裏には大きな血豆が。。。
裸足マラソン、思いやられるぜ。
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生まれるとは「個」になることだと思う。
母体と結合された状態から離れたって、「個」として生きていくということ。
また、死とは何か大きな一つに戻ることだと感じる。
あえて言葉にすると「共有」とか「結合」とか、何か一つに戻ること。
タロットカードや占いでは「死」と「性交渉」が密接な意味を持つんだけど、最近、この意味がよくわかる。
「交わり」と「死」は近いのだ。
逆に「孤独」と「生」は近い。
だから、真に生きようとすれば、孤独を感じずにはいられない。
真に生を全うするということは、どの道であっても「孤独」の道なのだ。
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人の一生は、個として生まれ落ちたときから、己を確立させるための必死の戦いをする。
それが思春期、青年期を超えて「大人」として完成すると、今度は「交わり」を通して、「死」を疑似体験しながら「死」へと向かっていく。人は「大人」になると同時に今度は「死」へと向かうのだ。
本当の結合を知る者にとって、「死」とはおそらく、恐れるべきものではない。
それは、「結合」の完成であり、全体の調和であるからだ。
最近、なぜか無性にそう感じる。
僕は人生の価値とは「交わり」の中でしか生まれないものであると思う。
「交わり」とは「人と関わる」ということである。
それはそれ自体が価値であり、意味のあることだ。
そして、その「交わり」を重ね、人との間の価値を生み出していくプロセスこそが、人生の営みであり、前向きな意味での「死」への道のりなのだと思う。
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僕は、相変わらず、人生の意味について考えている。
いな、人生の意味をどう見出すかの戦いをしている。
他者のためにどう生きるかというのは「交わり」というキーワードから読み解いてみても、正しい問いな気がする。
この命をこの世にどう貢献させていくのか。
人は「死」へ向けて、己の命をこの世に貢献させていかなければならない。
そうでないと、「死」は恐ろしいものになるか、とんでもなく虚しいものになってしまうと思う。
生きるということは、「個」としての己を確立し、他者と「交わる」ことだ。もっと言えば、他者に貢献していくことだ。
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オレは、もっと自分を作らねば。
己の確立をしなければ。
孤独を受け入れなければと切に感じる。
交わりやつながりに埋没してしまうと己を失う。
己を失うと、生きるという根本命題にかかわってきてしまう。
オレが時折、自分を失うのはこのためだと思うんだ。
願わくば、己の道を歩く孤独感をかみしめながら、他者と交わる喜びを感じられる人生を生きたい。
真に生きるとは、おそらく、壮絶な孤独感とともに、世界を満たすほどの連帯感を同時に体感する状態なのだ。
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僕は自殺肯定論者ではない。
これだけははっきり言っておく。
「死」はある種の完成であることに間違いはないと思うが、それは受け入れるべき果実であり、自ら得ようとしてはいけない聖域のものである。
別の角度から言い直せば、人間には、どんな人間にも、無限の希望がある。自ら死を選ぶに値する場面は存在し得ない。
そしてどんな人の人生にも生きる価値がある。
それを自ら放棄してしまうのは、最大の罪である。
人生に罪があるとすれば、それは自分の可能性を放棄し、自分を諦めてしまうことであろう。
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そう思ってしまった人、そうなってしまった人を励ますことが大事だ。
それが仏教だ。
自らを諦めてしまった人の中にも仏を見出し、その仏を拝むのが仏教だ。
だから、簡単に言えば、仏教って「励ます」っていう教えだ。
難解で装飾華美で意味不明にも思える法華経が説いているのは、実はそれだよ。
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今日はいつも以上にまとまらなかったね。
病み上がりなのでこれくらいで、またね。
コメント
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感想言うと長いので控えますが、私チャイさんすきです🌷✨
チャマもすきです🐪✨
楽しいことたくさんありますように❗️(⁎⁍̴̛ᴗ⁍̴̛⁎)🌸✨
チャマのデザイン素敵ですね!
目が白いのは「空」(くう)の意味ですか?
いつもありがとうございます。
セカザツ、畳の目、聞いて、元気を貰っています。
勉強させてもらっています。
自分も頑張るぞ!って、いつも思います。
チャイさんに勇気を貰っていますよ。
これからも聴き続けます。
心から応援しています❗️
まえから思ってたけど、このキャラクター、なんとなくチャイさんぽいよね(笑)
チャイさん、こんばんはー!
チャイさんのブログ盛り上げ隊のちゃんたけんすです(笑)
チャイさんの話ってやっぱり面白い。
なんだろー、このもがいている感じ。。。
もがいているってことは前に進もうとしていることなんだと思います。
偉そうなこと書きましたが、お許しください(笑)
深いですね…
なんでしょうね、最近思うのは死とは人生の集大成?人間生きたようにしか死ねないんだろうなって思います。死に方=生き様みたいな。文章にするとチープになりますねw
一瞬一瞬、一生懸命生きたいなと思います。臨終が目の前に来たとしても後悔ないくらいの人生にしたいですね^ ^
なんだか目に止まって今更読んでみたのですが、死が交わりに近いとは気づきませんでした。
だから私は死がそれほど怖くないんだろうなと。
なんて言うと死にそうに聞こえるかもしれませんが、この度の世は楽しむために生きてますからね!笑
なんだかちょっとすっきりしました。
どうもありがとうございます^_^