突然だけど、3月末日をもって仕事を辞めることにした。
実はもう半年以上前に決断したことなので本当は突然ではないんだけど。
あらかじめ断っておくが、この仕事そのものが嫌だから辞めるわけではない。仕事の性質上、仕事とプライベートの間に一切の隔絶を保ってきたので、僕はほとんど仕事の話はしてこなかったが、はっきりいって僕は基本的に仕事ではうまくいっていたと思う。
もちろん日々の仕事自体は過酷であり辛いと思ったことも幾度もあった。己の能力の至らなさや仕事の出来に悩み続けてきたことも事実だ。時には向いてないと思うことも何度もあった。
ギリギリまでクオリティや自分の技術を追求し、眠れずに出勤し続けて問題と向き合う日々もあった。サービス残業や土日出勤をいくらやっても終わらず満足に仕上がらない時もあった。クレーマーの対応もあった。人の数だけ価値観があるということを至るところで実感し、その難しさの渦中で己の信念を模索する日々であった。
でもそういった中で関わった人たちから、時には感動の涙を頂戴したり、僕の能力を過大に買ってくださったりした方々にどれほど励まされてきたことか。僕の仕事を最大限に評価してくださった方々への感謝は尽きない。
そこにはささやかではあるけど素敵な心の交流があり、思いが繋がる空間があった。その日々は未来を描くものであり、信頼を紡ぐ実践であった。それはかけがえのない価値の日々であったに違いない。過去というものは常に美化されうるものであるとは思うが、僕の今回の仕事についてもそれは例外ではなく、振り返ればいいことしか思いつかない。
職場や人にも恵まれた。嫌な人は一人もいない。
でも僕はこの3月に仕事を辞める。
それは一つの決断であった。
同時にそれは10年前からの約束であった。
何かを始めるのに理由はいらない。
でも何かを辞めるには理由がいる。
そして厄介なのはその理由は大抵一つではないということだ。
だから僕は仕事を辞める理由を簡単に説明することかできない。
僕が口にした理由はどれも真実であり、同時にそれのみではないのだ。
今仕事を辞める理由の一つに、昨年の体調不良という直接的なものがあった。
でも、同時にそこには何か別のもっと大切なものを見つめたいという思いもあった。
一昨年昨年と体調を崩した時、社会人としての自信を失いかけた。また、今死んだら多分死んでも死に切れない。やりたいこと、試してみたいこと、自分の人生を限りなく開くということ、これを実践せずには死ねない。そうも思った。
そう、実を言えば、度々この日記に漏らしてきた僕の不安は、一重にこの歳でこれまで築いてきた社会的地位を手放し、人生追求の旅に出るということにある。そしてそこには途方もない不安があるんだ。
経済的な不安は限りない。
母の生活費もある。
家の問題もある。
今の仕事は安定している。
いつからか途中でこんな呪いみたいな思考が頭をぐるぐる回り始めて、「自分の人生の選択をできない言い訳」ばかり並べ始めた自分がいた。そして、それは年々大きくなってもう動けなくなって、僕の運命をがんじがらめにしようとしてた。
そんな中で体調を崩した。
最初は「これを挽回して最後は伝説に残るような仕事をしてからじゃないとやめられない」と力んだ自分もいた。
でも、一方でどんどん時間ばかりが過ぎてしまう不安も増大していった。その中で止むに止まれずの決断であったのも事実だ。
そういう意味で、それは全てが力強く美しいものばかりで飾られた選択ではないことも知っている。
仕事で劇的な挽回はできなかったかもしれない。
でもきちんとけじめをつけて区切りまではやり遂げることができた。
それだけは自分を褒めなければいけない。
前途多難だ。
安定収入はなくなる。
でもそれをオレが選んだことが大事なんだ。今はそれが大事なんだ。僕は運命を選び、開く者でありたい。
今まで僕を呪ってきたお金の問題は解決していないどころか、いやまして混迷を深めることになる。
一昨年のテーマであったMoney&Conditionは実はうまくクリアできていない。僕はどうしてもお金と不器用にしか付き合えないし、身体にはいつも根をあげるまでの無理を強いてしまう。
でも今年はとにかく必死に生きていこうと思う。だから今年は「戦」なのだ。
ただ僕は僕のやり方で価値があると思うものに時間をかけ、己を見つめ、質の高い繋がりを拡大し続ける努力を重ねていこうと思ってる。
誤解されることもあるだろう。否、僕自身が何か勘違いのようなものを是正していかなければならないかもしれない。
どうなるかわかんない。
ただ確かなのは僕は「選択」したということ。とりあえずの安定を手放し不安定に生きる選択をしたということだ。
今年はこれまでの自分自身の哲学に則り、自在の人生に向けての飽くなき挑戦を始めるチャイネクスト元年である。
僕は今これまでに乱暴に積み上げてきた、幾分にも形式ばった己の人生哲学を、改めて実践し検証する時代に入る。
願わくば不安を楽しめるような自分になりたい。そして不安の渦中においても自分の未来を力強く見つめ、必ず開いていく己になりたい。そしていつか誰かを勇気付け、何かのきっかけになれるような生き方ができたらなと思ってる。
僕の今回の選択は、実は僕の仕事の「完成」のかたちでもある。
人は本来自由であり、自在である。人生には無数の生き方があり、そこに正解や決められた道はない。自分自身の決意と自分自身の努力で自分自身を開いていくという教えはまさに仏教思想の原理そのものであるが、これは机上の空論ではない。実践されて初めて光輝を放つ金言である。
どんな挑戦であれ、自由への道とは決して楽ではないし、必ずしも楽しいことの連続ではない。
また、安定的な立場を失う今、もはや安易にこれからもよろしくとは言えなくなる気持ちもある。
*
でも、それでも関わってくれる人、繋がってくれる人、これからもどうぞよろしくお願いします。
もしも何かヒントやアドバイスなどをお持ちの方がいましたら教えていただけたら幸いに存じます。
これからしばらくはこれまでご縁のあった方々とのやりとりを大切にし、なにか絆のようなものを築いていけたらと願っています。そのうちバイトを始めるつもりです。でもその前に少しばかり時間が作れます。これまでやってみたかったこと、もっと本気で試したいこと、勉強したいこと、新しくトライしてみたいことなど色々やってみようと思っています。一緒に何かしようってお声がけもいただけたら嬉しいです。僕にできることでしたら喜んでご協力いたします。
チャイネクスト元年、今迄以上の挑戦の年として参ります。
重ね重ねどうぞよろしくお願いします。
チャイネクスト
コメント
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大きな決断をされたんですね。
思うように人生を切り開いて行きたいと思っていても、なかなか踏み出す勇気は持てないものです。きっとチャイさんにとって正しい決断だったと思える日が来ると信じています。
私はこの決断に力強さと勇気をもらいました。
これからの活躍楽しみにしています。
りんりんさん
ありがとうございます。応援の気持ちがたくさん溢れたコメント、嬉しいです。この決断を力に変え、運命をも変えていけるよう精一杯戦っていこうと思います。これからも頑張ります。
チャイさん!やっぱり!辞められるんですね!
4月の予定な感じが有給の豪遊かなとも思いましたが。私も来月で安定収入が無くなります。
次の収入は5月末の個展のみです、、。今のところ。
私はもう雇われるのを辞めようと思いました。
友人の仕事の手伝いなどはするかもですが、
そして今年は出かけようと思います。
マダガスカル、バリ、そして再びオーストラリア。
そして、一度微々たる全財産(と言ってもお金だけですが)を使い果たして戻る予定です。
今死んだら、とても楽しい人生だったなで終わりそうです。
これからは、なんとなくですが、良い人生だったなとなるようにしたいなと、漠然と思ってます。
何が基準で”良い”のかはまだ分かりませんが。
勝手に同じ心境なのではと、心強いです♫
asamiさん
僕は、今死んだらまったく後悔しないような生き方をする、というのは本当に理想的だなと思うと同時に、今のためだけに生き未来に怯えるような己にはなりたくないという気持ちが差し込みうまく物事を選べない時があります。
「今」が「未来」のために犠牲であってはならず、「今」はそれ自体がそのまま価値であるべきで、さらに同時に、「未来」に繋がるものであるべきだと思っています。
そう、そんな生き方を模索していこうと思っています。
お互い、頑張るべき時ですね。頑張りましょう。
チャイさんの「戦」の年とはこのことだったのですね。すごく辛くて大変な…でもチャイさんにとって1番の選択なんだと思います。
生きているとしがらみに縛られて安定を求めるのが普通ですし、世に言う真っ当な生き方なのかもしれません。けれど、チャイさんの選択できる勇気にはそんなしがらみなんて吹っ飛んでしまうと思います。
「アクティブなチャイさんに期待してます!」なんて言葉の軽さに後悔していますが、しっかり未来を見据えられるチャイさんなら不安も楽しみに変えられると信じています。
kanonさん
コメントありがとうございます。実は僕にはみんなが感じてくれてるほどの勇気はなく、たいていの選択は「勢い」です。でも「選択」や「行動」をしていくことが何よりも大事だと思っているので、最後は「勢い」で押し切っています。そのため、いつも綿密なプランや展望があるわけではありません。でも「勢い」があれば人も人生も動かせると信じているし、勢いがあれば不安が吹き飛ぶとも信じてます。戦は勢いで勝つものです。それが楽しめる境地までいけるよう走り抜けていこうと思っています。
チャイさん、お疲れさまでした!
リフレッシュですね、ゆっくりして下さい。そして、目指す方向に突き進んで下さい。
人生には、無駄や無益なファクターなど只の一つもない様に思います。馬齢を重ねて思うのは、外見的な成功や失敗などに、さほど大きな違いは無く、もっとも大事なのは、そのファクターを自分自身が如何に楽しんだかに尽きるのはないでしょうか。
社会的地位や役職などは、そのポジッションに付加されるだけで、リタイヤしてしまえばその人の影響力も評価も雲散霧消!
旧制高校、東大、エリート官僚or大企業の実力者などの人生の大先輩の方々の状況を仄聞しても、リタイヤ後は周りが実力者扱いをしなかったり、女性にも相手にされない事に鬱々としてしまう様ですよ。
人生での最重要項目は、今現在の状況を如何にエンジョイするかではないでしょうか!!!!!
ps 女性とデートの際は、相手を楽しませる事を考えるのでは無く、自分自身が如何に楽しい状態に居れるかが大事なポイントです。自分がホントに楽しければ、その雰囲気は自然と相手に伝わります。相手を楽しませよう、楽しませよう、との想いでは、自分自身はちっとも楽しくないし、相手もただ圧迫感を感じるだけになってしまうかも。
女性と同席する時は、好きだと念ずるよりも、ああ、このヒトと居ると楽しいな〜!って感覚を磨くのはどうですか?
ロアさん
いつも励ましのコメント、親身なアドバイス、本当にありがとうございます。ロアさんの言葉には本当に励まされ学ばせていただいております。
自分がすべての肩書きを捨てて、裸一貫である時、どれだけの価値を生み出せるか。これは本当に大切な問いです。そしてそれは実は僕自身が節目節目で考えてきたテーマにも重なり合うものがあります。人生における幸福は肩書きや財産ではなく、それは人との繋がりの中に生じる喜びである、僕はそう信じています。
でも現実の試練において、肩書きや富が己の存在を揺るがしてしまうことがあります。数々の必要のない不安を掻き立ててきます。そういった試練に耐え、超え行く己でありたい。そう願っています。
デートのお話も大変参考になりました。そうですね。自分が楽しく、幸せでいられること。これをもっと大切にして、苦手な恋愛にも再挑戦できたらと思います。笑。今後ともよろしくお願いします。
読んでいくうちにコメントせずにはいられない気持ちになりました。若輩者であるため失礼をお許しください。
長い文章の中でも、「開く」という言葉がキーワードの一つのように思いました。人生を開く、運命を開く、己を開く…。
ちなみに、「拓く」で辞書を引くと、物を取り除くことによって空きや通路を作る、という意味だそうです。前々から仰っていた、この仕事を辞めるという行為は、チャイさんの今までの人生に詰まっていた詰め物を取る作業かもしれないと思っています。そして、意図的に作られた空きや隙間のことは工学的な言葉で「遊び」。遊びという隙間によって心に余裕ができたり、他人との交流が深まり絆が生まれたり。チャイさんの去年のテーマは「遊び」……。
ただの言葉遊びですが、何か意味のある繋がりに思えてなりません。いかがでしょう?
堅苦しいことはさて置いて。
チャイチャイトライに携わりたいです‼︎滞っていると噂に聞いたセカザツ本のお手伝いをしたいです。私はあと5〜7年ほどの学生の間に今ある日本の世界遺産全てを回りたいと思っています。また海外にもいくつか行ってみる予定です。写真の提供が出来るかと思います。他にもできることがあればやりたいです。よろしくお願い致します。
monoさん
「開く」という言葉は仏教上大切な言葉であると思っています。なぜなら仏教の説くところによると、仏性とは己の中にあって、成仏とはその仏性を「開く」ことにほかならないからです。平たく言えば、幸も不幸も幸運も悲哀も運命も宿命もすべて己自身の中にあるということだと思うのです。仏教は元来は救済を待つ受動的な宗教ではなく、己を律する中で宇宙の真理を己の中に見出す宗教です。それは静なる営みであるようで、きわめて熾烈な自己闘争であり、静というよりはむしろ動であり、それによって得られた真理によって実際の世界を変えていく宗教とさえいえます。さて、これが僕が「開く」という言葉を重視する理由であります。
堅苦しい話は置いといて、僕のチャレンジに対するご厚意、本当にありがとうございます。ご協力をしてくださることうれしいです。僕も今年、なんとか本にも着手したいと考えています。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
チャイ様
ずっと前からセカザツと畳の目を楽しませもらってる小田急江ノ島線のゴーストファンです。
自分は今年37歳になりますが、10年位働いて超安定してた仕事辞めましたよ。そして4月から2年間学校へ行き、全く新しい世界で仕事しようしてます。年々収入も増え安定してきたのでだんだん辞めづらくなっていましたが、今では良くぞ辞めた!と自分を褒めてる程です。辞めただけなんですけど、辞めた人にはわかると思いますよ。そういう性格の人なら。
既に辞めたからこその出会いもあり感じる事もあり、上々です。
チャイ様もGo to Next, お元気で(^^)
モノジョーンさん
コメントくださり本当にありがとうございます。モノジョーンさんは先輩ですね。短い言葉の中にも実感のこもった励ましのお言葉ありがとうございます。頑張ります。
チャイさんが決めた事ならば、それがすべて正解ですよ。
本当に勇気のいる決断ですが、誰かに強制されたものでないのだから、一番納得いくはずです。
不安で悩んだり、色んな困難があるかもしれませんが、それを乗り越えられるはずです。
悔いのない生き方を‼︎ですね。あと十日程だから、仕事もやり尽くすのにバタバタしているかもしれませんが、身体を大事にしてください。自分の身体を大切にする事も忘れてはいけないと思います。身も心も健やかに過ごして下さい。応援している人は沢山います。
結婚は遠のくかもしれませんが、みんなにモテる必要はないです。自分の生き方を認めてくれて、そのまんまのチャイさんを受け入れてくれるたった1人の人と巡り会えればいいのではないでしょうか。と思います。とにかく、見守っていチャイます。
kumi!!さん
いつもいつも温かい励ましどうもありがとうございます。年度末ということもあり、本当に忙しいですが、頑張ります☆condition、本当にテーマだな。
結婚ね、、そうだね、オレも本当はモテたいわけではないんだ。本当に。でも好きになった人に振り向いてもらえる自分にはなりたいものだね。今年はいろいろ不安定になるので恋愛どころではないけど、よい縁があればいいなと思っています。
チャイさん
とても勇気のいる決断をされたのですね。
同年代の私も、やりたいことはいっぱいあってもなかなかその一歩が踏み出せず、やれずに来てしまったことがいっぱいあります。チャイさんの言う”呪い”のような安定や周りやお金や時間やというしがらみが足枷となって、年々一歩が重くなっていることに気付かされます。ですからチャイさんのこの決断が、どれだけの勇気とエネルギーを要したかと思い、本当に凄いなぁって、そう思いました。
私は、沢山あったやりたいこと、一歩踏み出して失敗したこともあったけど、後悔はないです。何故なら、踏み出さずに終わる方が踏み出して失敗するより心残りだと知っているから。それに、失敗とか遠回りが無駄じゃない、それを人生にいかすかただのネガテイブな出来事で終わらせるかは自分次第だと知っているから。
人生って時に、やりたいこと・やらなければならないことが沢山ある中で、自分でpriorityを決め、取捨選択が必要になります。カッコよく生きたい、心地よく生きたい、フレキシブルに身軽でいたい、ひとそれぞれ、なんだか部屋のお掃除にも通じるような。。。
私はお掃除が苦手なので、人生の取捨選択も下手くそかもしれませんが、自分で決めてきたことだから、全部は叶わなくても幸せでいられる気がしています。
チャイさんが、沢山の”呪い”がある中で自らが大切にしたいものを選び一歩を踏み出したのですから、希望しかないですね!それが遠回りだったとしても、その道を通らなければ得られないものが必ずあるし、チャイさんはそれを人生のプラスに変えて行く人だと思います。
お互いに後悔しない人生を(*´∀`)b
これからも応援しています☻
チャイさん、こんにちは!
チャイさん、やりましたね!!おめでとうございます。
もう絶対いけますよーー!
だって、セカザツや畳の目、またこのブログで、どれだけ楽しませてるのでしょうか?
俺は、セカザツや畳で、チャイさんのおめでとうと、大きい声で喜んでる声を聞くのが大好きです!
だから、きっと大丈夫!
本当に、本当に、チャイさんがやりたいことに没頭しているならば、それは必ず実を結ぶ。どんな形かわからないけど、
チャイさんがしたいこと、応援してます!